月別アーカイブ: 2009年1月

2009年1月26日(月)の日記

 朝9時に十三市民病院へ。神経内科にかかるが検査はなし。確かに症状は軽くなってきているが、だとすると先週までのあの状態はなんだったのだろう。薬をやめた直後から少しずつ症状が和らいでいったというのも気にかかるけど、とりあえず症状が和らいでいるのでしばらく安静にしながら様子をみることにした。少なくとも躁や鬱のようなものがあるという自覚はないので「(躁)うつ病」の類ではないと思うのだけど、もしかすると「自律神経失調症」と日本で一般に呼ばれているものなのかなあ。神経内科ではそうした病気についての診断もなかったし独立した科として心療内科があるわけでもないので、しばらく様子をみて体調が回復しないようだったら、心療内科がある別の病院にかかることにしよう。

 昨年末に1日人間ドッグの案内が送られてきていて、もともと受けるつもりでもいたので来月の上旬に受けられるようハガキで申し込んだ。

 運動もかねて家から梅田まで歩いていく。ちょうど50分かかった。1時間弱ならたまにはいい運動になるかもしれない。まず某家電量販店で「Location Plus A1(型番:A1-WH)」という携帯型GPSユニットを買う。一つは記憶の外部化の実験の一環として。もう一つは4月にプロバイダー契約をしたときの特典でもらった商品券の使い道がなくて困っていたので。12800円也。歩数計はお預け。今は血圧計や体重計や歩数計でさえもパソコンでデータを保存して管理できるような機能がついている。

 とりあえず勉強のために自律神経失調症について書かれた本を2冊買ってきた。あとはストレッチについての本を1冊とマインドマップ関連の雑誌を1冊。

地位および名誉欲について

 なぜ人は地位や名誉を求めるのだろうか。もしこれらが生きていく上で有利に働くというのであれば分からないでもないが、後世に自分の名前を残したいということになると途端に理解することが困難になる。というのも地位や名誉を墓場まで持っていくことはできないわけだから、後世に名前を残すということは当人にとって何の得にもならないように思われるからだ。それではどうして人は死後の名誉まで求めるのだろうか。その理由をもう少し考えてみると、地位や名誉に付随する積極的な価値に引きつられて抱くようになった誤った信念によるもの、あるいは後世にまで地位や名誉が維持されることが子孫の繁栄にとって有利であるという進化論的な理由に基づくものという二つがすぐに思いつく。だが、前者であれば後世に名を残す意味は見出せないし、後者であっても自分の子孫を気遣うことが死んだ者にとってどれ程の意味があることなのかを考えればやはり意味がないように思われる。自分が生きているあいだであれ死んだあとであれ、およそ子孫の繁栄を気遣うことに意味があるのは自分が生きているあいだだけである。まあ私には思いもよらない何かがまだあるのだろうが、それは私には思いもよらないものなのだから、いずれにしても死後の名声を求めることは私にとって理解できないことなのだろう。

 こういうことを書きながら私は実存主義者なのだろうかと反省してみたりする。ところで、なぜカフカは自分で原稿を処分せずにそれを友人に託したのだろうか。それまでの著述家で死後に遺稿を処分するよう友人に託しながらも、処分されずに出版されたという例をカフカも知らなかったはずはないだろう。それなのになぜカフカは自らの手で原稿を処分せず、それを友人に依頼したのか。果たしてカフカは実存主義者なのだろうか。[ここまで、2009年1月4日]


[以下追記:2009年1月25日]

 最近は体調が悪く倒れそうになったこともあったので、万が一のことなどを考える機会があった。誰にも気づかれずに家で倒れたりして腐乱した状態で発見されたりしたら嫌だなあ、などと想像したりする。そうならないためにも、家族や研究室の関係者に現状を伝えておき、音信が途絶えるなどしたときには何か起こっていないか速やかに確認してもらえるようにお願いし、そうすることで万が一の時には関係者に連絡が行き渡るような経路を作っておかなければと考えたりしていた。とはいえ、腐乱した状態で発見されたくないというのは私の死後についての欲求であって、私が以前書いたことにしたがえば、こうした欲求を持つことは非合理的なのではなかっただろうか。このことは死後、あるいは(現在の日本では法律的には死とされていない)脳死状態での臓器移植に同意するかどうかという問題とも共通する部分があるのかもしれない。

2009年1月25日(日)の日記

 去年8月11日に「セイロガン糖衣A(36錠)」を698円で買ったとき、それまでに値段を見てきたどの薬局よりも安く買えたと喜んでいたけど、某かかりつけの薬局では570円で売っていることに先日気づき少しへこんだ。

 やはり左半身がおかしい。

2009年1月24日(土)の日記

 ゴミ収集車が来た音を聞いてゴミを出すのを忘れていたことに気づく。

 先日インターネットで注文した血圧計を某家電量販店へ見に行き、販促用に置いてあった実機を試してみた。最高血圧が130、最低血圧が89、脈拍は66だった。病院ではなく自分で測ったのと食事前なのを考えるとやはり高い。インターネット上の口コミにもあったけど、確かに実物は厚みがあって思ったよりも大きかった。

 阪神百貨店梅田本店の地下でカレーライス(290円)を食べ茶屋町でスニーカーを見たあとイカ焼きを買って食べながら帰る。少し歩いただけで疲れるのと、左手、左足に少ししびれを感じる。逆に右手、右足はほとんど違和感がなくなった。いったいどうなっているんだ。左半身に特に異常を感じ始めたのは先週の水曜日にTAをやっている最中。ただしその日は朝起きたときに左肩が重かったので左肩にモーラステープを貼った日。だから朝から左肩に異常は感じていたということ。

2009年1月23日(金)の日記

 9時半に十三市民病院へ。昨日の検査(MRI:頚椎部分、単純/ルーテル)の結果を見る限り、首のところもきれいで骨が神経を圧迫しているようなことはないとのこと。ここ2日間は症状がよくなっているということもあってか、整形外科の観点からは今のところ何も言えないそうだ。ただ血圧が高いのは気になるので、しばらく血圧を記録しながら様子を見て内科にかかるように勧められる。今日診察室で測ってもらった血圧は、上が140台後半、下はよく聞き取れず、脈拍は70台だったように思う。いずれにせよ普段より高いことは間違いない。また血栓の可能性について尋ねてみると私の年齢では考えにくいとのこと。ただ先日までは人の話が理解しづらい、言葉が出てこない、片側の手や足にしびれを感じるという症状があったことから、脳についても調べてもらうよう来週月曜日に神経内科の予約を入れてもらった。

 脳梗塞について不安になったので、以前書いておいた覚え書きを見てみると、以上のような症状に加え「物が二重に見える」というのにも心当たりがあることに気づく。ちょうど正月頃に自分の体が二重に見えて「本ばかり読んであまり寝ていなかったから幽体離脱(のような体験を)しました」と日記に面白おかしく書こうかと思ってたことがあったので覚えていたのだが。今のところは手が動かないというほどひどいことはないけど「脳梗塞の前触れと言われるのが一過性脳虚血発作。名前の通り一時的に脳の血管が詰まり、上のような症状が出るが、24時間以内に症状が回復する」と覚え書きにはあるので、来週まで待つのも不安だなあ。ただ私の年齢で血栓の可能性が考えにくいのだとするとただの思い過ごしなのかなあ。とりあえず週末もあまり無理しないように安静にしていよう。

 6時限目の授業だけ出席。帰ってきたあとコインランドリで洗濯をし、来来亭でからあげ定食を食べ、マックスバリュで買い物をする。数日前の症状がひどかったときほどではないけど、箸を使うときに小指に問題があるせいかぎこちない感じがする。ご飯を食べた後に血圧が上がったのか指がぱんぱんにはれているのに気づく。昨日から頭痛がするのも気になるけど、これも高血圧のせいなのだろうか。