2日分の新聞のコラムに目を通す。2008年7月29日付「毎日新聞」のコラムで、積乱雲の呼び名について書かれていた。関東では「坂東太郎」、上方では「丹波太郎」、九州では「比古(ひこ)太郎」と呼ばれるそうだ。これまで何度も目にしているが、なかなか覚えられない。
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2008年7月29日(火)の日記
今日で前期の授業がすべて終わるが、博士課程にまでなってレポートを4つも出さなければならないというのは、何ともことばに言い表しがたいものがある。とにかく心を落ち着けて、一つずつ片付けていこう。
先週の木曜日にエアコンが故障して、悲惨な目に遭っている。管理会社に連絡して新しいものに取り替えてもらうことにはなったのだが、電器屋が配管の様子を見に来るのが今週の木曜日だと言っていたから、エアコンが使えるようになるのは早くとも来週以降になりそうなだ。風通しが悪く蒸し風呂のような部屋で生活していると――というよりもほとんど床に這いつくばって悲鳴を上げているが――、昔の家は風通しが良かったのだろうかなどと思いをめぐらしてしまう。エアコンがなかったときはどうやって暑い夏をやり過ごしていたのだろう。私の小さい頃、少なくとも小学校低学年の頃までは、エアコンもそれほど普及しておらず、寝苦しかったのをかすかに覚えているのだが、当時は幼かったし、エアコンのある生活になって久しいので、そのときのことはもう思い出せない。
2008年7月28日(月)の日記
病院の待ち時間などを利用して、貯まっていた4日分のコラムを読む。
まずは朝日新聞のコラムから。2008年7月26日付のコラムは文化庁が実施した「国語に関する世論調査」についての話。「鬼籍に入(い)る」とは、人が亡くなることを言うようだ。知らなかった。鬼という字にはもともと、「人が帰るところ」という意味があるそうだ。25日付のコラムは八王子の無差別殺傷事件について。
東京・八王子の書店で起きた無差別殺傷事件で、アルバイトの大学生斉木愛(まな)さんが犠牲になった。人柄を知る人は「明るく、まじめな人でした」と評している。だが、一昨日までなら、尋ねられれば「明るく、まじめな人です」と答えていたはずだ▼憎んでも余りある凶行が、「です」を「でした」に変えさせた。かけがえのない命を過去のものにした。愛する肉親を、親しい友を、いまや過去形で語らなくてはならぬ人たちの無念は、いかばかりかと思う▼(2008年7月25日付「天声人語」)
人を殺すという行為には、「現在のもの」を「過去のもの」にしてしまう力が備わっている。「現在のもの」が「現在のもの」であり続けるためには、絶えず継続する意識や、そうした意識を取り戻す見込みがあるということが必要なのかもしれない。このことはまた機会があるときにじっくり考えたい。
次は毎日新聞のコラム。2008年7月28日付のコラム「インドネシアの介護士受け入れ」についてでは、インドネシアの人たちが子どもをかわいがり、ホスピタリティーにあふれた国民だということが書かれている。26日付のコラム「競争相手を示す『ライバル』という言葉は・・・」の冒頭は、ロックらの所有権論に通じるところがあっておもしろかった。
競争相手を示す「ライバル」という言葉は川の「リバー」と同じ語源らしい。もとは「同じ川の流れを使う人」という意味で、川の流れが細ければお互いに張り合って、足をひっぱり合う関係になってしまう▲もっとも川の流れが豊かならば、その恵みを分かち合い、お互いに切磋琢磨(せっさたくま)し合うライバル関係も生まれる。(2008年7月26日付「余禄」)
読売新聞のコラムには特にこれといったものはなかったが、2008年7月27日付のコラムで、特許庁のロビーに「10大発明家」のレリーフが飾られているという話は勉強になった。
豊田佐吉(木造人力織機)
御木本幸吉(養殖真珠)
高峰譲吉(アドレナリン)
鈴木梅太郎(ビタミンB1)
杉本京太(邦文タイプライター)
本多光太郎(KS鋼)
八木秀次(八木アンテナ)
丹羽保次郎(写真電送方式)
三島徳七(MK磁石鋼
池田菊苗(グルタミン酸ナトリウム)
産経新聞と日本経済新聞のコラムもいくつか目にとまったものはあったけど、あえて書き留めておこうと思うほどのものではなかった。
2008年7月24日(木)の日記
天声人語はウナギの話。
小咄の一つに、ウナギを焼く匂いで飯を食う男が出てくる。店の主がお代を求めると、銭の音をチャリンと鳴らし、「匂いのお代は音で払う」。(2008年7月24日付「天声人語」)
これは落語「しわい屋」に出てくる一場面のようだ。機会があったら一度観てみよう。
読売新聞は八王子の殺傷事件について。芥川龍之介の遺稿「闇中問答」について書かれている前半がおもしろかった。
暗闇のなかで声が問う。お前がこの世でなした行為の責任は?「僕」が答えて言う。<四分の一は僕の遺伝、四分の一は僕の境遇、四分の一は僕の偶然、――僕の責任は四分の一だけだ>◆その返答に、暗闇の声は告げた。<お前は何と
云 う下等な奴 だ!>と。きょうが命日の作家、芥川竜之介の遺稿「闇中 問答」にある。(2008年7月24日付「編集手帖」)
「僕の偶然」というのが何なのか、よく分からない。あと、龍之介の龍を竜と表記しているのには何か理由があるのだろうが、それも分からない。
梅田を徘徊して旅行用にアーミーナイフを買ったあと、久しぶりに映画(宮崎駿監督『崖の上のポニョ』)を観に行ってきた。ストーリーも映像も酷いけど、声優が一番酷かった。
2008年7月23日(水)の日記
暑くて6時半に目が覚める。久しぶりに全国紙の各コラムに目を通す。
輸入ウナギに「愛知県三河一色産うなぎ」のシールをつけてぼろ儲(もう)けしようとした業者が摘発されたが、どうやら氷山の一角らしい。国内で“本当に”養殖されているウナギは消費量の2割にすぎないはずなのに、近所のスーパーでも「国産」モノが陳列ケースの大半を占拠しているのはどうしたことか。(2008年7月23日付「産経抄」)
確かにこう言われてみると、すごく説得力がある。今度スーパーに行ったら国産と中国産の比率に注意してみよう。
朝日のコラムは、知が蓄積された存在として人を考えることについて。様々な経験をした人を「本」として貸し出す「生きている図書館」が欧州で広まっているという話などが紹介されている。ロンドンのある図書館では元ホームレスが一番人気だったのだとか。このコラムは臨床哲学について考える上で何か役立ちそうな気がする。
研究室の人たちと舞洲工場を見学してきた。フンデルトヴァッサーがデザインしたというのはあくまで外観のイメージだけで、そのデザイン画に6600万円も支払ったとのことだった。建設された年代が違うので単純な比較はできないかも知れないが、焼却能力が同じ森之宮工場は約40億で建設されていることを考えると、舞洲工場の総工費約609億円というのは文字通りけた違いに高いことが分かる。年間に1万6千人もの人が見学に訪れているとのことだったので、建設費の一部を回収するためにも、土産売り場の一つぐらいあっていいと思うのだが、そういったものは何もなかった。まあ見学者の大半は小学校の社会見学によるものだろうから、売店を作っても採算はとれないのかも知れないなあ。