月別アーカイブ: 2010年10月

Tweets on 2010-10-11

  • 伊丹のAI•HALLにて青年団の『砂と兵隊』を観劇。17時から『砂と兵隊』のフランス語版『Sables & Soldats』を観劇するまで休憩中。 #
  • 阪急およびJRの伊丹駅周辺には始めて来たけど、見るからに社会(関係)資本がしっかりしてそうだ。市民参加とまちづくりは親和性が高いように思うけど、その場合の市民というのはやっぱりエリートなんだよなぁ。確かにわたしもおかしな人たちとは一緒に暮らしたくないもんなぁ。 #
  • まあ、そうすると同じ理想をもった人たちで国や共同体を作ればいいって話になるのかなぁ。ここら辺は松葉祥一先生と議論してみたいところ。これに関連する『ヴィレッジ』とかいう映画があったっけな。 #
  • 『Sables & Soldats』を観たあと阪急伊丹駅のikariでチーズなど買って帰るところ。劇が終わったあと斜め後ろにいた人から声をかけられ、誰かと思って振り向いたら市川明先生だった。 #
  • 内容的に「おぉー」ということはなかったけど、日本語版もフランス語版もそれぞれの演出があり、2演目続けて観た甲斐があった。 #

平川秀幸『科学は誰のものか――社会の側から問い直す』NHK出版生活人新書、2010年

 2010年9月22日(水)に阪大生協書籍部豊中店で10%オフで購入し、同日読み始め2010年10月10日(日)に読み終える。

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 いろいろと勉強になった。

 著者のというわけではないが、本書で説明されているような「統治」と区別した「ガバナンス」の語感・用法には違和感がある。この「統治」と「ガバナンス」の違いは「芸術」と「アート」の違いのように、ほんらい「アート(art)」の訳語が「芸術」だったはずなのに、「アート」という表現を意図的・政治的に「芸術」とは違う意味で用いることで「芸術」と「アート」が違う意味で使われるようになったのと同じようなものを感じる。上から下への一方的な支配の形態としての「統治」とは違う形態について語りたいのであれば、別の言い回しで適切なものを見つけるか、それが無理なら新しい表現を別途作るべきである。

 参加型テクノロジーアセスメントの手法の代表格が、DBTが1987年に開発した「コンセンサス会議」だ。(58頁)

 なるほど。

 科学技術のガバナンスに関わることは義務なんかではない。世の中に個人の人生にも、大事なことはほかにもたくさんある。やりたいこと、やらねばならないことも。そのなかで、ほかでもない科学技術の問題に関わってしまうのは、人それぞれの「運命」の問題だ。

 要は、関わりたい人、関わらざるをえないと思ってしまった人たちが、それぞれのやり方で関わればいい。(194頁)

 こういう主張は少なくないのだが、わたしはいまのことろこの主張に違和感を覚えているので、同意しかねる。

 196-214頁のあたりは同意。

 222頁の「そんな彼らが」から始まる文はなんだか変。「耳を傾け」は(文脈でわかるものの)「何に」にあたることばがないとか。

 222-5頁の「専門家はだしの素人たち」の項で書かれているような話は、日本でやるとどうなるんだろう。医師法などを根拠に公権力が振りかざされたりと、日本では障害が多い気がする。

 233頁「『疑問派』であるということ」の項は、哲学との関係で考えるとおもしろい。

買った本20101010

 神保町の古書店で本を4冊購入。

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『世界の名著 36 コント/スペンサー』中央公論社、1970年。100円。これは持っていなくて、ちょうど探していたのでよかった。


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『世界の名著 55 ホイジンガ』中央公論社、1967年。100円。


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『世界の名著 54 マイネッケ』中央公論社、1969年。200円。


河合榮治郎『トーマス・ヒル・グリーンの思想體系』日本評論社、1940年。1500円。Amazon.co.jpで該当するページがない。ただし版の違うものはいくつかある。

Tweets on 2010-10-10

  • 飲み会終わり。電車がないので田町からJR大森駅までタクシー。いくらかかるのだろう。それでもまあ今日もいろいろ勉強になった。 #
  • 午前から神保町。まだまだ飛行機の時間まであるんだけど、場所を変える意味も含めてそろそろ空港に向かうかな。 #