批評」カテゴリーアーカイブ

書評、映画・音楽評など。

川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書、2010年

 紀伊國屋書店梅田本店にて2010年11月2日に購入。11月9日に読み始め、24日に読み終える。

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 歴史はあまり得意じゃないのでつい敬遠しがちなのだが、不得意だからこそあえて克服しなければという思いで手に取った一冊。こんな歴史の苦手なわたしでも楽しみながらすらすら読め、歴史学の重要性を思い知らされた。もっと歴史学にもお金をかけてをしっかりやっておかないと、政治も経済も科学技術も大変なことになりそうだ。

平川秀幸『科学は誰のものか――社会の側から問い直す』NHK出版生活人新書、2010年

 2010年9月22日(水)に阪大生協書籍部豊中店で10%オフで購入し、同日読み始め2010年10月10日(日)に読み終える。

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 いろいろと勉強になった。

 著者のというわけではないが、本書で説明されているような「統治」と区別した「ガバナンス」の語感・用法には違和感がある。この「統治」と「ガバナンス」の違いは「芸術」と「アート」の違いのように、ほんらい「アート(art)」の訳語が「芸術」だったはずなのに、「アート」という表現を意図的・政治的に「芸術」とは違う意味で用いることで「芸術」と「アート」が違う意味で使われるようになったのと同じようなものを感じる。上から下への一方的な支配の形態としての「統治」とは違う形態について語りたいのであれば、別の言い回しで適切なものを見つけるか、それが無理なら新しい表現を別途作るべきである。

 参加型テクノロジーアセスメントの手法の代表格が、DBTが1987年に開発した「コンセンサス会議」だ。(58頁)

 なるほど。

 科学技術のガバナンスに関わることは義務なんかではない。世の中に個人の人生にも、大事なことはほかにもたくさんある。やりたいこと、やらねばならないことも。そのなかで、ほかでもない科学技術の問題に関わってしまうのは、人それぞれの「運命」の問題だ。

 要は、関わりたい人、関わらざるをえないと思ってしまった人たちが、それぞれのやり方で関わればいい。(194頁)

 こういう主張は少なくないのだが、わたしはいまのことろこの主張に違和感を覚えているので、同意しかねる。

 196-214頁のあたりは同意。

 222頁の「そんな彼らが」から始まる文はなんだか変。「耳を傾け」は(文脈でわかるものの)「何に」にあたることばがないとか。

 222-5頁の「専門家はだしの素人たち」の項で書かれているような話は、日本でやるとどうなるんだろう。医師法などを根拠に公権力が振りかざされたりと、日本では障害が多い気がする。

 233頁「『疑問派』であるということ」の項は、哲学との関係で考えるとおもしろい。

水月昭道『ホームレス博士――派遣村・ブラック企業化する大学院』光文社新書、2010年

 2010年9月27日(月)に阪大生協書籍部豊中店で10%引きで購入。同日読み始め、翌28日に読み終える。

 水月昭道『高学歴ワーキングプア ――「フリーター生産工場」としての大学院』光文社新書、2007年ほどのインパクトはない。『高学歴ワーキングプア』同様、共感できるところは多くない。

高間邦男『組織を変える「仕掛け」――正解なき時代のリーダーシップとは』光文社新書、2008年

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 2010年7月30日(金)に阪大生協書籍部豊中店で15%引きで購入。2010年8月19日(木)に読み始め、第1章の終り(55頁)まで読んだところで読むのを中断。この本には論証がない(というと多くの本がそうなので、それ)以上の何かがないような気がする。

三田紀房『ドラゴン桜 特別編集 センター試験対策篇』モーニングKCデラックス、2007年

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 2010年7月5日(月)にジュンク堂書店千日前店で購入。同日読み始めるが、途中の頁が破れていたので読むのを中断して8月11日(水)に同店で新しいものに交換してもらう。8月14日(土)に読むのを再開し、翌15日(日)に読み終える。マンガを一冊読むのにも2日かかる自分がうらめしい。