Tweets on 2014-07-08

  • 『哲学カフェのつくりかた』を著者のひとりである桑原英之さんからご恵贈いただいた。そこまでの道のりはいろいろあるのだけど、そういったことは一切合切省略して、ただただ感謝。ということで、少しずつ読み始める。 00:46:15, 2014-07-08
  • 『哲学カフェのつくりかた』について。「監修者のことば」「編者序」「哲学カフェ Q&A」はさいごに回すとして、第1部からと思ったけど、本書の構成を見ると、どこに「哲学カフェのつくりかた」があるのだろうかという疑問がわいてくる。私はカテゴリー・ミステイクを犯しているのだろうか? 00:54:45, 2014-07-08
  • 「第1部 哲学カフェに行ってみよう」「第2部 哲学カフェいろいろ」「第3部 3・11を哲学カフェで語る」「第4部 哲学カフェを考える」という構成。ここでの「つくりかた」とは何を意味しているのだろうか。とりあえず読んでみないことには何とも言えないか。 00:59:01, 2014-07-08
  • 今日は樫本直樹さんの「1. 哲学カフェにおける徳の涵養―喫茶JUN(神戸)の場合」を読んで寝ることにする。 01:01:52, 2014-07-08
  • いきなりだけど「『老舗』の哲学カフェ」(3頁)の老舗とはどういうことなんだろうか。また、老舗に鍵括弧が付いているのはどういうことなんだろうか。喫茶JUNそのものが老舗だったわけだけど、文脈としては哲学カフェが老舗だということなんだろうなあ。つまり「哲学カフェの老舗」なのかな。 01:05:27, 2014-07-08
  • でもここで老舗に鍵括弧がついて「『老舗』の哲学カフェ」と表現されると「老舗での哲学カフェ」みたいな印象を受けてしまう。実際どちらを意図しているのか、両方なのか、そして鍵括弧は何なのか、気になる。 01:07:22, 2014-07-08
  • 3頁2行目の「神戸中央区」は「神戸市中央区」なのかな。 01:10:50, 2014-07-08
  • 3頁4-6行目によれば見出し「『老舗』の哲学カフェ」は「哲学カフェの老舗」という意味だったようだ。 01:13:13, 2014-07-08
  • 6頁1-6行目のテーマは付録の活動一覧と微妙にずれているなあ。同じく6頁に「ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)」とあるけど、SNSは「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」じゃないかな。 01:33:38, 2014-07-08
  • 6-8頁の二重鍵括弧なんかは会話文なのでとりあえず仕方ないとしても、9頁の鍵括弧、二重鍵括弧はやっぱり気持ちが悪いなあ。 01:42:00, 2014-07-08
  • あかん。ぜんぜん読み進めていないけど、寝ないと起きられなくなるので寝る。 01:44:55, 2014-07-08
  • あ、今日は禁酒14日目。睡眠不足なので清々しくはない。 06:46:52, 2014-07-08
  • 今日は3時間しか寝ていない。目がしばしばする。 07:56:54, 2014-07-08
  • 『哲学カフェのつくりかた』のつづき。10頁「哲学カフェをはじめるまで…」の文章には、大きく二つの認識が示されている。一つは社会の中に「考えたい」という欲求があるということであり、もう一つは「パブリックな意味で、議論し、対話する場所というのはそれほどなかった」ということである。 08:21:11, 2014-07-08
  • まず、何も限定なしの「考えたい」というのはどういう状態を指しているのだろうか。私はこのツイートをしているときに何も考えていないのだろうか。確かに、歩きはじめるときに私が右足から踏み出すか左足から踏み出すかは、ほとんど全ての場合、何も考えずに行っていると言えるかもしれない。 08:25:44, 2014-07-08
  • とはいえ、ほとんど無意識的に行われるそのような行動に「考える」という行為が伴っていないから、私たちが「『考えたい』という欲求」をもつわけではないのだろうし、そういうことを言っているのではないだろう。とすると改めて、ここでの限定なしの「考えたい」には何が省略されているのか。 08:30:30, 2014-07-08
  • 徒歩のため中断。 08:34:13, 2014-07-08
  • 火曜日の朝は幼稚園の前を通って出勤するのため元気な子どもたちの姿を見て癒される。同じ光景を目にしながらも、世の中にいっそう恨みを募らせる人たちだっているんだろうなあ。 08:43:55, 2014-07-08
  • 『哲学カフェのつくりかた』のつづき。限定なしの「考えたい」の続き。10頁2-3行目の「こみ入って話さないような事柄(「幸せ」「自由」「老い」などのテーマ)」について考えたいということなのかな。まあ普通に読めばそうなるよな。ここはそんなに突っ込むところではなかった。 10:46:10, 2014-07-08
  • 著者によるもう一つの認識は「パブリックな意味で、議論し、対話する場所というのはそれほどなかった」という部分だけど、ここの部分も二つ気になるところがあって、一つは「パブリックな意味で」がどこにかかっているのか、もう一つは、本当にそんな場所はなかったのだろうかというところ。 10:48:37, 2014-07-08
  • パブリックな意味で議論したり対話したりということであれば、パブリックな意味で議論したり対話するとはそうでないこととどう違うのかということが気になるし、パブリックな意味で場所がないということであれば、パブリックな意味で場所があるとはどういうことなのかということが気になる。 10:50:31, 2014-07-08
  • 「パブリックな意味で」がどこにかかっているかは別にしても「議論し、対話する場所」は本当にそれほどなかったのだろうか。筆者は「自分が知らなかっただけという可能性は捨てきれない」と書いているけど、これは調べてみてやはり見つからなかったということなのか、調べてないけどということなのか。 10:55:32, 2014-07-08
  • ここらへんは「議論し、対話する場所はそれほどなかったように思われる」とさらっと書いてしまうんではなくって、それなりに実証的な支えがほしいところ。 10:57:31, 2014-07-08
  • この直後にも「『~カフェ』という言葉ないし活動が私たちにとって馴染みのあるものになってきている感じがする」とあるが、ここもフィーリングでいいのだろうかという気がしないでもない(とフィーリングで指摘するわけだが)。 11:02:26, 2014-07-08
  • ちなみに「リアル鳩cafe」の"e"にはアクサン・テギュはつかないはず。 11:03:45, 2014-07-08
  • 10-13頁。樫本さんは哲学カフェについて「あるテーマ(問題)について、批判的に、そして哲学的に考え、議論することができる」としつつも「単なる個人の経験に基づいたおしゃべりじゃないか」という批判があることを紹介する。これに対して「単なるおしゃべりとは異なる」との論を張っている。 12:06:47, 2014-07-08
  • 「批判的に」はともかく「哲学的に考え」というのがどういうことなのかという突っ込みは野暮なのでこの際おいておくとして、このあとは「単なるおしゃべりとは異なる」おしゃべりの話になって、それまで語られていた議論や対話という表現が影をひそめてしまう。 12:12:36, 2014-07-08
  • これだと対話、議論、おしゃべりの違いについて読者は戸惑うんじゃないだろうか。私は会話とか談話とかも含めて、ここらへん概念の違いはいつかしっかり考えたいとは思っているけど、文章を書くときにはこれらの違いは留保すると断るようにしている。樫本さんはこれらの違いをどう考えているんだろう。 12:16:25, 2014-07-08
  • そろそろ移動。 12:23:02, 2014-07-08
  • 『哲学カフェのつくりかた』つづき。10-13頁のくだり。おしゃべりと、単なるおしゃべりとは異なるおしゃべりについて。実は、単なるおしゃべりとは異なるおしゃべりについての説明もよくわからないんだよなあ。 12:54:47, 2014-07-08
  • 重要なところを引用しておく。「哲学カフェにおいては、単なるおしゃべりではないのだ。それらは、とにかく声を出すことを可能にし、ひとと十分に言葉を交わす習慣を、そして対話する態度を身につけることを可能にするための、いわば『助走』としての意味をもつ」(13頁) 12:57:28, 2014-07-08
  • 単なるおしゃべりは「とにかく声を出」して行われているものではないのだろうか。だとすると、それとは異なる哲学カフェでのおしゃべりが「とにかく声を出すことを可能にし…」というのは実に奇妙だ。後段はどうだったか。 13:01:08, 2014-07-08
  • 「ひとと十分に言葉を交わす習慣」というのは「十分」という不明瞭な概念が混入しているし「対話する態度を身につけることを可能にする」という部分も、そもそも対話の定義をしていないので問題を先送りにしているに過ぎず、単なるおしゃべりとは異なるおしゃべりの説明にはなっていない。 13:04:50, 2014-07-08
  • ということで、哲学カフェにおける単なるおしゃべりとは異なるおしゃべりというものについては依然としてよくわからないままである。ここで敢えて管見に入るならば、哲学カフェに対して単なるおしゃべりだという批判があるなら、私はそれをそのまま受け止めたらいいと思う。 13:10:08, 2014-07-08
  • 仮にこちらが「単なるおしゃべりとは異なるおしゃべり」を定義したとしても、哲学カフェを批判する者は、その「単なるおしゃべりとは異なるおしゃべり」も単なるおしゃべりと同じぐらい価値のないものだと切り返すだけなので、おしゃべりかおしゃべりじゃないかという議論は生産的ではないだろう。 13:13:09, 2014-07-08
  • もちろん概念を区別しながら使い分けていくというのは重要なことだと思うので、先述の通り私も対話、議論、会話、談話、おしゃべりなどの違いについていつかはじっくり考えたいと思っているが、さし当り区別をせずに別の切り口で議論するのが賢明なのではないかと考えている。 13:14:43, 2014-07-08
  • 「見ず知らずの人とパブリックな空間でおしゃべりすることが重要なのであって、単なるおしゃべりとは違う」と主張したところで「おしゃべりはおしゃべりじゃないか」と切り返されるのが関の山なので、はじめからそこは認めて「見ず知らずの人とパブリックな空間で」行うことの重要性を説くとか。 13:18:36, 2014-07-08
  • 「徳の涵養(?)」の項へ。14頁には、熟議によって市民が社会の問題解決や政策形成に関わることが必要であるけれど「対話の、そして社会への参加の枠組みをつくったからといって、ひとはいきなり議論できるわけではないし、声を発するわけでもない」ので「もう少し手前から考えないと」とある。 13:31:28, 2014-07-08
  • ここの部分は私も同意。だからこそ私が関わっているパブリック・エンゲージメント(PE)の活動では、哲学カフェやおしゃべりカフェの場を広げていこうとしているわけである。 13:33:51, 2014-07-08
  • 樫本さんは先のような問題意識から、哲学カフェの可能性に期待しながらも、それが「直接的に何かしらの問題解決に役立つ活動」(14頁)ではないと言う。というのも、哲学カフェは「議論することそれ自体を目的とするような活動」(14頁)だからだと。私はこの部分にひっかかる。 13:40:10, 2014-07-08
  • そもそも「議論することそれ自体を目的とするような活動」というのは、いったいどんな活動なんだろう。よく「議論のための議論」などと言うけれど、その場合は非建設的で無駄なことという軽蔑的な意味を込めて言われているように思うが、哲学カフェもそういうものだというのだろうか。まあ違うだろう。 13:43:52, 2014-07-08
  • 変なツッコミはさておき、私もこれまで数知れず哲学カフェに参加してきたけれど、文字通り議論することそれ自体が目的だと思って参加したことはないし、そのように感じたこともないのである。これは私たちは哲学カフェで何をしているのかという重要な問題に関わるものだろう。哲学カフェ行為論。 13:47:08, 2014-07-08
  • JR姫路駅に着いたので、中断。これから昼ごはん。 13:48:41, 2014-07-08
  • 昼は紅宝石でラーメンミニカレーセット(648円)。やはり外食をすると高い。これから播但線。首尾よく座れたので『哲学カフェのつくりかた』のつづき。樫本さんの担当箇所については先ほどのツイートのところまで。今のところはまだ「哲学カフェのつくりかた」についてはっきりしてこない。 14:35:08, 2014-07-08
  • 次は寺田先生の「2. ガラパゴス化する『東京哲学カフェ』?――哲学カフェの進化とは何か」を読み進める。 14:37:27, 2014-07-08
  • 寺田先生の文章も軽いタッチで読みやすい。17-21頁は寺田先生が東京で哲学カフェを始めて試行錯誤しながら現在に至るまでの経緯が要所を押さえつつまとめられている。このあたりはPEでおしゃべりカフェ in くずはの実現へ向けてお手伝いしたときの体験と重なり、読んでいて感慨深いものが。 15:22:56, 2014-07-08
  • 哲学カフェ(樟葉のものはあえて哲学カフェと呼ばないおしゃべりカフェだけど)を始めるにあたって、どういうことが必要で、どういうことに困るのか。これは『哲学カフェのつくりかた』という本書のタイトルにも通じるものである。 15:28:18, 2014-07-08
  • ただ「ガラパゴス化する『東京哲学カフェ』?」という見出しについては、一方で魅力を感じながらも、他方で疑問を感じなくもない。 15:34:40, 2014-07-08
  • 例えば「ぼくの哲学カフェの参加者のなかには、いくつかの哲学カフェをはしごする人もいて、その常連さんが新たに自分のスタイルの哲学カフェを開き、人気を集めている事例もある。その意味では、東京の哲学カフェは独自の進化を遂げているとも言える」(19頁)について考えてみる。 15:35:33, 2014-07-08
  • この「常連さんが新たに自分のスタイルの哲学カフェを開き、人気を集めている事例」(19頁)は「大阪を中心とする哲学カフェ」(18頁)にもあるし、その意味ではどこだって「独自の進化を遂げている」(19頁)と言えるのではないか。 15:53:32, 2014-07-08
  • 例えば、先ほど挙げた「おしゃべりカフェ in くずは」や、赤井さんがやっておられる「むこのそう哲学カフェ」なんかは、何年も前から大阪や神戸で行われてきた哲学カフェとは随分違った雰囲気であるし、東京の小金井哲学カフェを長くやって来られた方が今は滋賀でびわこ哲学カフェをやっている。 15:58:46, 2014-07-08
  • 北陸に住んでおられる方が関東と関西の両方の哲学カフェに参加しているという話も聞くし、哲学カフェは進行役、主催者だけがつくるものではないという考え方を受け入れればなおさら、東京の哲学カフェと大阪を中心とする哲学カフェの交配は進んでいるのではないだろうか。 16:02:13, 2014-07-08
  • ただし、私自身は東京哲学カフェには参加したことがないので、周辺的な情報をかき集めた上での想像に過ぎない。まあ同じ想像で物申せば、福岡哲学カフェや北九州哲学カフェなんかは名実ともにガラパゴスなのではないかという気がしてならない。これは勝手な想像なので関係者の皆様、悪しからず。 16:07:06, 2014-07-08
  • いきなり飛ぶけど、302頁の3行目「代表になって気づいてことは」は「代表になって気づいたことは」の誤植だろう。 16:19:27, 2014-07-08
  • 福崎に着いたあたりから頭痛。頭蓋骨の中で脳がパンパンに張っているような感じ。前頭葉が育ちすぎたのかしらん、と冗談めかして考えたりしながらも、すぐに「でも痛いのは後頭部なんだよなあ」と。絶対安静である。 18:11:59, 2014-07-08
  • 『哲学カフェのつくりかた』のつづき。30頁1-2行目「第三者との比較のことではなんだけどなあ」は「第三者との比較のことではなかったんだけどなあ」か「第三者との比較のことではないんだけどなあ」の誤植ではないだろうか。 20:02:45, 2014-07-08
  • 帰宅だん。21時前か。 20:51:35, 2014-07-08
  • そうめんを1杷半湯がいて食べた。これから、先ほど買ってきた豆腐をニンニク醤油で豆腐ステーキにして食べる。 21:21:59, 2014-07-08
  • @meirin213 なんと、世間は狭いもんですねー。あの辺りの風景、好きです。 in reply to meirin213 22:15:13, 2014-07-08
  • 昨日ジェノベーゼに使ったしめじもニンニクと醤油で炒めて豆腐ステーキと一緒に食べている。食欲がなかっただけにお腹いっぱい食べられてよかった。幸せ。 22:18:36, 2014-07-08

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