(つづき)『哲学する教育原理』122頁の注4にある「ジャクソンの論文『Home grown』」の論文名はダブルクォーテーションでくくりたいところ。ちなみに、当該論文が所収されている雑誌を示す183頁の「引用・参考文献」にも誤りがある。(つづく) in reply to mrmts00:29:46, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』183頁の"Educational Perspective"は"Educational Perspectives"の誤り。また、雑誌名はその後の"Journal of the…Mānoa"まで続くけど、この部分が斜体になっていない。 in reply to mrmts00:33:11, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』183頁の"Georing S."は"Georing, S."、その後の書籍名も副題の"An Introduction"以降が斜体になっていないのと、副題とのあいだにコロンがない。出版社の"routledge"も"Routledge"としたい。 in reply to mrmts00:38:18, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』128頁「善とは価値における正しさであり、真とは事実における正しさである。真偽は客観的に判定できるが、善悪は客観的に判断することはできない」や、その後の「善い」と「正しい」についての整理は、倫理学的にはどうなのかなあと思うけど、気にしすぎなのかなあ。 in reply to mrmts00:54:49, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』138頁では学習指導要領の法的拘束力を認めたような書き方になっているけど、49頁ではその法的拘束性を必ずしも認めておらず、もちろん執筆者が異なるので学習指導要領についての考え方も違うのだろうけど、この本を教科書として読む読者は混乱するかもしれない。 in reply to mrmts02:04:57, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』151頁でヤスパースの「限界状況」についてドイツ語で"Grenzsituation"と原語が示されているけど、「実存」については英語で"existence"としているのはなぜだろう。どうせならここも”Existenz”としてほしいところ。 in reply to mrmts02:47:53, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』154-5頁に「西脇は、子どもの発達要求に沿った活動を存分にさせる試みをしている。結果、そのなかの何人かは、3歳児時点で自閉症と医師から診断をされていたが、小学校に入学する時点では、定型発達の域にまで達したという例を報告している」とある。(つづく) in reply to mrmts03:12:30, 2017-04-03
(つづき)ちなみに、184頁の参考文献(8)の「愛知教育大学教育臨床センター紀要」は「愛知教育大学教育臨床総合センター紀要」の誤り、(10)の「東京福祉大学・大学院研究紀要」は「東京福祉大学・大学院紀要」、ページ数は137-144とあるけれど、実際は127-134頁。(つづく) in reply to mrmts03:30:29, 2017-04-03
(つづき)(8)の参考文献はウェブ上では入手できず(購入すればべつだけど)。(10)は機関リポジトリ「群馬県地域共同リポジトリ」から入手。先に引用した「3歳児時点で自閉症と医師から診断」というのは、どのような検査に基づくどの程度の確度をもったものなのだろう。(つづく) in reply to mrmts03:46:05, 2017-04-03
(つづき)DSM-Vに依拠して一定の検査を経た上でのものなのか、それとも医師の臨床的な経験に基づく「自閉症の可能性がありますね」という程度のものなのか。前者だとして、3歳児時点での診断というのは、どの程度の確度があるものなのか。色々と気になる。(つづく) in reply to mrmts03:48:58, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』156頁でAD/HDについて「ペアレント・トレーニングなどによる効果を認める研究もある」という記述は、AD/HDの原因が親のしつけによるものだという誤解を招きかねないし、そうした考え方は現在は否定されているはずなので、どうなのかなと思う。(つづく) in reply to mrmts04:27:20, 2017-04-03
(つづき)ここでも私が気になるのは、西脇先生が「AD/HD」ということでどのような人たちのことを指しているのかということ。たんに「医師から診断」と言っても色々なことを意味しうるので、やっぱりそのあたりを明確にしておかないと何も言えないように思う。 in reply to mrmts04:30:59, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』156頁の「自閉症の原因には、さまざまなことがいわれるが、遺伝的要因として語られる中に双生児一致率(37~90%)がある。このことは、自閉症に遺伝的要因が大きいことを示している。しかし、一致率に幅があるということは、環境因子の影響も無視できない… in reply to mrmts04:37:12, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』8-2「特別支援教育」について、しつこいようだけどもう少しだけ。発達障害(非定型)であるという診断は医師から受け、「定型発達の域にまで達した」という判断は西脇先生ほか医師でない者が行うというのにも、ひっかかりを覚えた原因はあったんだろうなと思う。 in reply to mrmts09:04:27, 2017-04-03
(つづき)184頁(10)の参考文献にもざっと目を通したんだけど、西脇先生たちの試みで、療育等により発達障害をもつ子どもたちの社会生活上の困難等が軽減されたり解消されたりしたということが経験的なレベルで観察されたというだけで、それ以上でも以下でもないように思う。 in reply to mrmts09:16:10, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』159頁の注4「現行の高等学校の道徳教育では『現代社会』『倫理』が中核の科目として位置づけている」は「位置づけられている」とするか、「『現代社会』『倫理』を中核の科目として位置づけている」とするところだろうか。 in reply to mrmts09:19:03, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』160頁は、いろいろ網羅的に紹介しようとしているせいか、専門家でない者が読んでも何のことかわからないのではないかという印象を覚える。たとえば次の箇所なんかは、いきなり人格と物件なんて用語がでてきても、カントについて学んでいない人にはわからないだろう。 in reply to mrmts09:41:34, 2017-04-03
(つづき)「さらに、『人格』の問題がある。すなわち、人工妊娠中絶、脳死、尊厳死などに直面した時に、人間は『人格』(Person)の範囲を決定しなければならない。『人格』と『物件』(Sache)の厳格な線引きが可能なのだろうか」(『哲学する教育原理』160頁より) in reply to mrmts09:43:30, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』160頁の注8、インフォームド・コンセントの説明も気になる。「インフォームド・コンセントは、単に説明するだけではなく、同意を求めなければならない」から始め「『患者の権利』が求められるようになった」と結ぶなら、前半も患者の視点から書いてもらいたい。 in reply to mrmts09:47:04, 2017-04-03
(つづき)"Informed consent"なのだから、文字どおり「(治療方針や治療法について)十分な情報提供を受けた上での(患者の行う)同意」という風に患者の視点に立って説明しないと、「単に説明するだけではなく、同意を求めなければならない」だと医療者中心の視点になってしまう。 in reply to mrmts09:50:16, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』161頁の「さて、『共生』の理念なくして『自立』が成立しないにもかかわらず、『自己決定権』によって『自立』を涵養するという名目で」の「自立」は、2つ目の使い方をする限りでは「自律」とすべきところだろう。 in reply to mrmts09:56:13, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』161頁の「『道徳科』における『生命倫理』は、先端医療技術の倫理的な課題に焦点化するのではなく、もっと広義な内容項目として、『生命』と『伝統と文化』が絡まった日本人の死生観(生死観)や、日本人の病気観なども取り上げて…」の日本人の○○って…。 in reply to mrmts09:58:43, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』174頁の「実は教師がチームとしてかかわるとき、指導内容のベクトルを一致できているのか否かにより、教育効果には大きな差異となって現れる」は、何が差異となって現れるのだろう。「教育効果が大きな差異となって現れる」の間違いだろうか。 in reply to mrmts12:22:38, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』を読了。いろいろと勉強になった。せっかくなので中津ぱぶり家で勝手に書評会をやろうかなと。準備して書評する人が集まらなければ、書評カフェという形でゆるくやってもいいかなと。ひとまず、これまでツイートしてきたことをまとめてみる。 in reply to mrmts12:36:03, 2017-04-03
(つづき)『哲学する教育原理』82頁の注7で「ペリー幼児教育計画」(ペリー・プレスクール・プロジェクトとも)から「幼児教育を受けた子どもは、特に非認知能力における発達がめざましく、またそうした能力を獲得したことが、その後の人生の成否を決定する要因になっている」ってどうなんだろう。 in reply to mrmts13:41:13, 2017-04-02
(つづき)『哲学する教育原理』89頁の注8でいじめの主な原因・動機「力が弱い・無抵抗」から「こうした『力の弱さ』や『無抵抗』は、被害児童生徒の心の強さや他者へのやさしさの現れである。それに気づくことのできない子どもたちがいじめを行うということであろう」という解釈はどうなんだろう。 in reply to mrmts13:51:13, 2017-04-02
(つづき)『哲学する教育原理』105頁で本文中の「ヴァージニア・プラン」についての注で「アメリカのバージニア州の教育委員会が…」と書かれると、どちらか片方が引用ならともかく、どちらも地の文なら「バージニア」か「ヴァージニア」に統一してほしいなと。 in reply to mrmts14:03:36, 2017-04-02
(つづき)『哲学する教育原理』112頁の注4「ギリシア語のロゴス(logos)は、『言葉』という意味だけではなく、『論理』や『秩序』、『根拠』といった意味も含まれている」は「ロゴス(logos)は…も含んでいる」か「ロゴス(logos)には…も含まれている」かだろうか。 in reply to mrmts14:43:44, 2017-04-02
(つづき)『哲学する教育原理』110頁に「対話的空間(哲学カフェ)」とあり、この「対話的」の「的」とはどういうことかなと思っていたら、その隣に「対話空間(探求の共同体)」とあり謎が深まる。でも、116頁には「対話空間の創出―哲学カフェの試み―」とあったので、深い意味はないのかな。 in reply to mrmts14:59:20, 2017-04-02
(つづき)『哲学する教育原理』116頁の注3「代表的な哲学カフェとして、哲学対話の実践をサポートするカフェフィロがある」というのはどういう意味だろう。カフェフィロは団体の名称のはずだけど、だとすると「代表的な哲学カフェとして」は何に掛かっているんだろう。 in reply to mrmts15:20:56, 2017-04-02