友人に誘われて13時半から18時まで精華大で創立40周年記念と建替えられた本館の竣工式を兼ねた同窓会。初めて似顔絵を描いてもらう。感激。
そのあと北大から京大に移ってきた某君と食事。英会話サークルにも連れて行く。
最近は生ビール中ジョッキ2杯程度しか飲まないようになっていたけど、今日は5杯飲んだ。一応飲もうと思えば飲めるんだなあ。まあ飲めるからといって飲もうとは思わないけど。
友人に誘われて13時半から18時まで精華大で創立40周年記念と建替えられた本館の竣工式を兼ねた同窓会。初めて似顔絵を描いてもらう。感激。
そのあと北大から京大に移ってきた某君と食事。英会話サークルにも連れて行く。
最近は生ビール中ジョッキ2杯程度しか飲まないようになっていたけど、今日は5杯飲んだ。一応飲もうと思えば飲めるんだなあ。まあ飲めるからといって飲もうとは思わないけど。
午後から研究室。鍵問題。
18時半から研究室にいた先輩・後輩と3人で食事。
授業のあとはまっすぐ自宅に帰って某学会と某書類の準備。
10時半から”Bioethics in English”の授業。あまりうまく自己紹介できず。
以前から疑問に思っていることだけど、日本語ですら「はじめまして、○○です。△△の研究をしています」ぐらいしか言わないのに、英語で3分や5分も自己紹介できるわけがない。これはたんに英語と日本語で自己紹介の仕方が違うというような問題だけではないように思う。というのは日本語でも出身はどこで年齢はいくつで週末には何をしていて趣味は何といったようなことを話す場合もあるからだ(ただし家族構成がどうだというのは日本ではほとんど話さないように思う)。しかしながら、わたしはそうしたことを自己紹介で話すことは知っていても、強制されない限り自分から話すことは決してない。お見合いで「ご趣味は何ですか?」と聞くことがおかしな例としてよく語られるように、以上に挙げたようなことをあからさまに話したり聞いたりするのは、コミュニケーションの手段として拙いと考えているからだ。何よりもあからさまにそのようなことを聞いたり話したりすることは美しくない。美しい美しくないということになると、これは文化の違いというよりも趣味(判断)の問題、美学の問題ということになる。もちろんそうした趣味判断が文化の影響を受けていることは否定しないけど。だから、例えば話し手のイントネーションが関西弁に近いと思ったときに「関西のご出身ですか?いえ、話し方がどうも関西ぽかったので」といったように出身地の話をするとか、音楽の話題が出たときに「よく音楽は聴かれるんですか?」と趣味を尋ねるような自然な会話を心がけ、
太郎「趣味は音楽鑑賞です」
花子「音楽がお好きなんですね。太郎さんはどのような音楽をお聴きになるんですか」
太郎「普段はクラシックを好んで聴きます」
といったような話していても聞いていても全身がむずがゆくなってくるような会話はしたくないものである。
昨日「誰それの科研が通ったとか通らなかったとか」と書いたけど、不採用だったと聞いていたものが実は早とちりで採用されていたとのこと。めでたい。
コメントアウトに関するバグ発見。以前は問題なかったと思うんだけどなあ。一応フィードバックしておくか。
8時過ぎに研究室。9時前からTAの仕事。
午後2時から再びTAの仕事。5時まで。