- まだ『哲学カフェのつくりかた』のつづき。「哲学カフェで重要なのは、知らないことを知るための問いではなく、知っていることを改めて問うような問いである」(44頁)。ここは哲学を少しかじった人にはひっかかるんじゃないだろうか。 04:51:32, 2014-07-17
- 松川さんは「知っていることを改めて問う」と書いているが、そもそも私たちにとって「知っていること」なんてあるのだろうか。知っていることを問う意味は、字義通りだと無いはずで、これが意味をもち得るのは「知っていること」ではなく「知っているつもりになっていること」だからである。 05:08:06, 2014-07-17
- 「知っていること」と「知っているつもりになっていること」「知っていると思い込んでいること」とでは意味が異なってくる。私だったらここはやはり「知っているつもりになっていること」かな。寺田先生だとソクラテスなんかにも言及するだろうか。 05:14:41, 2014-07-17
- 松川さんも当然このことに気づいていないわけではないんだよな。先ほどの直後では「こうした問いは、ふだん私たちが当然のものとして受け入れ、日常生活や会話を成り立たせている隠れた前提に目を向けさせてくれる」(44頁)や「通じているつもりだった言葉」(44頁)などと書いている。 05:17:49, 2014-07-17
- 『哲学カフェのつくりかた』は46頁「進行役はニュートラルな存在ではない」という項目の手前まで。 05:25:06, 2014-07-17
- 『寄生獣』も実写映画化されるのか。予告編を見てみたんだけど、とても残念な感じだった。2部作でやるというのも残念。 07:40:53, 2014-07-17
- 日本一上品な阪急電車で出勤中。というかもうすでに降りて、これから日本一かどうかは知らないけどとにかく遅延だらけのJR西日本へ乗り換え。 09:02:53, 2014-07-17
- 臓器移植法が改正されて今日で丸5年か。早いもんだ。まあこの5年を早いと感じるかどうかは人によるんだろうけど。 09:29:23, 2014-07-17
- あれ、冷房を消したかどう不安になってきた。 09:56:20, 2014-07-17
- 非常勤先の学食で唐揚げカレー。370円。なんとか明日まで生きられそうだ。 14:01:42, 2014-07-17
- 十三なう。非常勤のあとベイトソンの『精神と自然』読書会をして帰宅中。 21:50:54, 2014-07-17
- 松屋十三東口店で牛めし並(290円)。ジェフグルメカードは475円で買ったはずなので、実質265円。松屋の牛めしが380円に値上げされるようなので、安いうちに食べておく。さすがに380円になって他の牛丼チェーンが価格据え置きなら、松屋で牛めしを食べることはまずなくなるだろうなあ。 22:06:22, 2014-07-17
- さて、これで帰って明日の授業の準備と勉強をして寝れば、明日は給料が入っているよなあ。でないともう仕事に行く切符を買う交通費すらない。 22:09:05, 2014-07-17
- 帰宅だん。クーラーは消して出かけていた。よかった。 22:22:22, 2014-07-17
- 今月のガス使用量は3立方メートルで料金は1,332円。前年同月は9立方メートルだから66.7%の節約。さすが、お風呂に入るときはシャワー中心にしたのと、その上で使用するお湯の量を極力減らせるよう努力してきた甲斐があった。 22:27:34, 2014-07-17
- 『哲学カフェのつくりかた』の続き。まだ松川さんのところ。46頁「進行役はニュートラルな存在ではない」の項から。 22:44:25, 2014-07-17
- まず「私たちの日常会話は、さまざまな前提をもとに成り立っている。哲学カフェでは、まずその前提の存在に気づく必要がある。〔中略〕しかし、すでに前提を共有してしまっている(ようにみえる)同じ育児サークルのメンバー同士ではそうはいかない」(46頁)について。 22:46:51, 2014-07-17
- 松川さんはそこで「『部外者』の進行役の存在が重要だ」(46頁)という。ここらへんは共感。平田オリザ流に言うと、プライベートな関係での会話はお互いに察し合うというやつかな。 22:51:11, 2014-07-17
- 47頁で進行役はここぞというときにこそ介入するのがよいという考えに基づいてそれを実践してみると「若い人にはわかんないよね~」や「松川さんもそのうちわかるよ」と流されてしまったという体験談。このあたり、どうすれば参加者のそういう態度を解除できるのか気になるところ。 22:53:57, 2014-07-17
- 48頁では進行役の役割について松川さんの考えが述べられている。曰く「進行役にできること、進行役がすべきことは何だろう? 議論すべきポイントを指示して議論を導くことではない。むしろ、たくさんの議論の可能性、思考の分岐点を示唆しつつ、参加者に考える問いを選んでもらうことではないか」 22:56:26, 2014-07-17
- 48-9頁では、進行役である松川さんの問いかけに対し、お母さんたちから「松川さんも子どもが生まれたら、そのうちわかるよ」と流されてしまったこと、そこで子どもという当事者の立場から問いかけ直すとお母さんたちも自分自身の発言を見直すようになったという体験談が書かれている。 23:07:18, 2014-07-17
- 確かに、この場合は松川さんが子育てをするお母さんたちに対して実際に子育てをされた子どもの立場に立つことができてたからよかったけど、このように「中立的ではない立場をうまく利用すること」(48頁)ができない場合はどうするんだろう。 23:14:33, 2014-07-17
- あまり野暮ったい突っ込みはしたくいしたくないと言いながらするわけだけど、49-50頁について。 23:22:28, 2014-07-17
- 「哲学カフェが『カフェ』と呼ばれる背景には、『誰にでも自由に出入りできる開かれた場』という思いが込められている。そういう意味では、〈グリーングラス〉のお母さんしか参加できない哲学カフェは、反則と思われるかもしれない」(49頁) 23:23:42, 2014-07-17
- このような意見に対して松川さんは、町中のカフェは誰にでも出入り自由なように見えて実のところお母さんたちにとってそうではないということを、ベビーシッターや子供用のおもちゃの不在、カフェイベントの開催時間がお母さんたちにとって参加しづらい点などを挙げながら指摘する。 23:30:13, 2014-07-17
- 私がひっかかるのは松川さんがこのあとで「だからこそ、通常の哲学カフェとは別に、お母さんのための哲学カフェを用意する意義がある」(50頁)と主張するところ。もちろんこの主張は先の前提からは導き出せない。字義通りの主張は導けるかもしれないけど…(続く) 23:34:02, 2014-07-17
- (続き)先の前提は私たちにお母さんたちの参加しやすい哲学カフェを用意する意義を認めさせるかもしれないけど「お母さんしか参加できない哲学カフェ」(49頁)を用意する意義は認めさせないだろう。まあ、現在はお母さん以外の参加者も排除していないということは、いちおう断っておく。 23:40:26, 2014-07-17
- あれま、51頁で突然「〈開かれた対話〉」なんて表現が出てきた。「開かれた対話」そのものも気になるが、この山括弧も気になる。カギ括弧と山括弧と、松川さんはどう使い分けているのだろう。そもそもどういう意味で松川さんは括弧を使っているのだろう。 23:45:23, 2014-07-17
- 松川さんが担当する箇所の最後の一段落は、唐突感があるし、さらっとし過ぎていて読者には根拠もよく見えないんじゃないかなあ。 23:52:13, 2014-07-17
- 曰く「哲学カフェは、問題解決や合意には向かない。その意味では、哲学カフェで社会を変えることはできない。しかし、誰もが対等に話し合える場を維持することが、社会を変えるきっかけになる可能性もある。グリーングラスの哲学カフェは、まさにその実践例のひとつといえるだろう」(53頁)。 23:52:37, 2014-07-17
- 松川さんのところはここまで。ちょこちょこ勉強になった。次は三浦隆宏さんの「4. 哲学への弱い紐帯――中之島哲学コレージュでの哲学カフェ」。また明日以降。 23:54:22, 2014-07-17
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