Tweets on 2011-10-12

  • 豊中ではまだ立っている。よしっ。 #
  • 今日はがーっんと酔えそうなんだけど、明日というか今日は朝一で非常勤だからなぁ。残念だけど十三で軽く飲んで帰る。岡町なう。 #
  • んー、宝塚線の上り最終電車は、座席が空いているからいけないんだと思う(私が酔っ払っているとか、座席に座るとか座らないとか以前に)。だって、座席が空いていなかったら座りようがないからね。とりあえず、服部でもまだ立っている。つらいなぁ。座りたくなる気持ちもわかる。自分に同情。 #
  • 庄内も通過。次は三国で、頑張れる自信がある。がんばるぞー。 #
  • わーい、十三で無事下車できた。 #
  • 【本日開催】 本日の19時から21時まで、京阪なにわ橋駅構内のアートエリアB1において、哲学カフェ「『話がかみ合わない』とはどういうことか?」の進行役を務めます。参加費なし、途中入退場自由です。興味・ご関心がおありの方はぜひお気軽にお立ち寄りください。 #
  • 革靴を履こうと思ったんだけど、履くのが面倒だったので、スニーカーにした。やっぱり一度楽なことを経験すると、面倒な方を自律的に選択するのはなかなか難しい。いまのところネクタイだけは死守している。あとはもう全部陥落してしまった。 #
  • 昨日の演劇ワークショップの続きだけど、3年前に初めて平田オリザのワークショップを受けたときには「好きな色」の前だったかどうかは記憶が定かではないが、発声のワークをやったような気がする。ここ数年それはみていない。あれを「好きな色」の前にやったらいくらか効果はあるのかなぁ。 #
  • (つづき)発声のワークに関しては、『コミュニケーション力を引き出す』で蓮行が書いていたし、今年の前期に受けた「パフォーミングアーツの世界」で彼がやっていたような気がする。ちなみに『コミュニケーション力を引き出す』はとてもいい本。いちおう宣伝しておく。 #
  • (つづき)どうすれば「好きな色は」ゲームをうまく遂行出来るのか高校生に考えてもらったら、手拍子を使ってさまざまな歩き方をさせるというゲームを考えてくれたグループがあって(これは質問の答えとしてはずれているんだけど)ちょっと感動した。もしかしてそういうゲームを知っていたのだろうか。 #
  • (つづき)手拍子の数などにルールを与えて参加者に歩き回ってもらうというゲームは、やはり蓮行が今年度の前期の授業「パフォーミングアーツの世界」でやっていた。これを受けた実感としては、ルールがあまり複雑になりすぎるとよくない。 #
  • (つづき)これはひとつの発見だけど、たとえば高校生に(小・中学生はわからないし、高校生といっても複数の経験に基づいているわけではないので一般化はできないが)整然と並ぶように指示すれば、きちんと並べるし並ぶんだけど、自由に歩き回るように指示しても、それはできないし、やってくれない。 #
  • (つづき)日本の学校教育では、少なくとも小学生のときから軍隊式に整然と並んだり足並みを揃えて行進したりということを徹底的に叩き込まれているので、そういうのはできるし、そういう指示を受けたら、それに従うようにも仕込まれている。でも自由に歩き回ることはできない。 #
  • (つづき)三宮に着いたのでおしまい。(おわり) #
  • 本日の哲学カフェについて少し整理しておこう。まず「『話がかみ合わない』とはどういうことか」というテーマを選んだ理由について。本当は「哲学カフェの進行役とは」というテーマでやりたかったんだけど、いろいろな事情があって、結局今回のようなテーマでひとまず妥協することになった。 #
  • (つづき)なぜ哲学カフェの進行役について考えようとしたのかというと、この頃、中之島なんかでは哲学カフェの参加者から進行役に関していろいろと厳しい注文が出されるようになってきた。曰く「進行役は参加者が変なことや間違ったことを言ったら、それを正すべきだ」とか… #
  • (つづき)…「おかしなことを言う人がいたら、(あんた)おかしいと進行役が言うべきだ」「先ほどの発言の間違いを正すと言っているこちらの参加者に指名するべきだ」「話をまとめろ」「いや、話はまとめない方がよい」など。 #
  • (つづき)哲学カフェに対するイメージも進行役に期待する役割も、参加者によっていろいろ。でも、少なくともこうした声が多数寄せられるようになって明らかになったことがひとつある。 #
  • (つづき)それは少なくとも哲学カフェを開催したり進行役をしたりする側と参加者側(と分けてしまうことには抵抗があるけど)とで哲学カフェや進行役についての考え方に大きな隔たりがあるということ。ところで哲学カフェの主役は誰だったか。私の理解では、それは進行役ではなく参加者である。 #
  • (つづき)ということは哲学カフェのあり方も進行役のあり方も参加者の考えや意見によって変わりうるものなのではないか、というのが私の問題提起。これは論点先取なのだろうか。哲学カフェやその進行役はこれこれこういうものでというルールがまずあって、そのルールの中でしか遊べないゲームなのか。 #
  • (つづき)まあ憲法の改正と一緒で、ルールの中にルール変更のルールがあるかどうか、あるいはそれを認めるかどうかという問題だけど、私の周りにいる人は参加者の意見に応じて彼らが核とみなしている哲学カフェのルールを変更することには反対のようだ。 #
  • (つづき)私の場合、私が哲学カフェの核とみなすルールが「参加者が哲学カフェの主役」というものなので、それ以外の(あるいはそれも含めた?まぁ、ここらへんは奴隷契約の妥当性なんかと似たところがある)ルールは参加者の意見によって変わるべきものだと理解している。あー、でも本当かなぁ。 #
  • 大阪大学コミュニケーションデザイン・センターの広報誌『VOICE』の第2号(AUTUMN 2011)に、先日の知のジムナスティックスに関する文章を寄稿いたしました。こちらからPDF版をご覧いただけます。 http://t.co/CmE3Gsz6 #
  • (今晩の哲学カフェに関するつぶやきのつづき)うとうとしたりしながら、別のことつぶやいたりしていた。で、続きといっても何か整理しておくとすると、あとは「話のかみ合わなさ」についてかな。 #
  • (つづき)ここらへんは私がどう考えるかってことよりも、むしろ参加者が参加してよかったと思えるような議論へつなげるためにはどうすればよいかという、どちらかというと実践的な問題だろう。で、どうすればよいのだろう。 #
  • (つづき)私たちは話がかみ合っていないと感じることがある。いままで哲学カフェに参加したことのある人であれば「ちょっ、ちょっと待ってよ」と、そう感じたことがある人も少なくないのではないだろうか、とかなんとか。前提から結論が飛躍しているとか、根拠がないように思われるとか… #
  • (つづき)…そもそも話している言語が(といっても同じ日本語なんだけど、たとえば現○学のそれのように)まったく理解不能だとかなんとか。こうした事例を具体的に挙げるかどうかは悩ましいところ。あと、話者の発話内容そのものよりも、発話状況(やりとりの仕方)に原因があるかもとか。 #
  • (つづき)で、原因を絞るにしろ絞らないにしろ、ある程度そういうのがリストアップされたなら、じゃあどうすればその原因を取り除けるのかという方向に向かえば、話は収れんしていくだろうと。それ以前のさらに以前に、原因とか理由とか、そういう話にならないかもしれないなぁ。まあそれならそれ。 #
  • (つづき)今日はひとつだけ進行役として議論の方向づけに意識的に関与しようと思う。それは、哲学カフェは言いたい放題でいいのか、議論としてまとめなくていいのか、という議論になったとき。これはこれで面白いテーマだけど、今日は「話がかみ合わないとは」がテーマだということにこだわりたい。 #
  • (つづき)まあそんなところだろうか。ツイッターを見ながら話したら怒られるかなあ。(おわり) #

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