Tweets on 2011-10-03

  • あ、北の方にいる某氏がイェール大に4ヶ月間行っていたのは某組織的派遣だったのか。2週間イギリスの街をフラフラしていただけの私とは、えらい違いだ。 #
  • 5時過ぎにガストに来て、読書するつもりだったのに、パブリック・エンゲイジメント関係の雑文の見直しに時間を費やしてしまった。巻き込む範囲をもう少し広げないと、これだけでは企画倒れになるな。 #
  • 日経によると、日銀が「経済・物価情勢の展望」で2013年度の消費者物価上昇率の予想を前年度比ゼロ%台とする方向で検討、か。どうなるんだろうな、この国は。ていうか、みんなはこの国のことどう考えているんだろう。どんな将来像を描いているんだろう。○国になめられないとか?(プゲラ #
  • まあ現実的悪意の法理というのはアメリカでの話で、かつ専門家と非専門家ではなく公人と私人についての違いを問題にしたものだけど、反論の手段や機会という点では、専門家は非専門家よりも通常は多くのチャンネルを持っているはずなので、ある程度この法理を援用して考えられるところはあるはず。 #
  • さて、そろそろ帰ってご飯炊いて、朝ごはんを(食べると一日中眠たくなるから嫌だけど)食べるかな。 #
  • よし、ごはんが炊けた。 #
  • 現代口語演劇なるものを提唱している平田オリザは、劇を不自然なものに感じさせる要因の一つに「説明的な台詞」というのを挙げている。人はふつうお互いが知っている情報についてわざわざ確認することはないし、心に思ったことをわざわざ声に出して発話することもない。(つづく) #
  • (つづき)舞台の背景や登場人物のことなどを観客に伝える(説明する)ために、例えば「おまえ、昔は万引きして捕まったことがあったけど、いまは銀行員やってるんだよな」とか「なんて殺風景なところなんだここは」みたいな台詞を訳者に言わせるとすると、それは説明的な台詞である。 #
  • (つづき)ところが前者のような台詞はよほどのことがない限りわざわざそんなことを確認したりしないし、後者のような台詞もマンガやアニメならまだしも、わざわざそんなことを口に出して言うやつはそうそういない。でも未熟な脚本家ほど説明的な台詞によって観客に情報を伝えようとすると平田は言う。 #
  • (つづき)それで、説明的な台詞は劇を不自然にする要因だということになるわけだけど、そういう話を以前知り合いににしていたら「でもあんた思ったことを何でも口にしてるやんか」と言われたわけである。確かに「いまから風呂に入る」「ご飯食べよっと」「さあ寝るぞー」などなど。 #
  • (つづき)やくざを前に「こいつやくざやなぁ」とか、そんなことはもちろん口には出しませんけど。ただまぁ、私が実際に説明的な台詞を一日中吐き続けているからといって、そしてそういう人が実際にいるからといって、説明的な台詞が劇を不自然にするという主張が否定されるわけではないだろう。 #
  • (つづき)というのも、私のような登場人物が劇中に登場して、いわゆる「説明的な台詞」を吐き続けたとしても、それは舞台の背景や登場人物のことを文字通り説明するための台詞ではなくて、登場人物の性格そのものの表われだからなのかな、おそらく。 #
  • (つづき)まあともかく、演劇の理論が語りたかったのではなく、私がぶつぶつぶつぶつ思ったことを何でも口に出しているなぁということを、そしてまた周りの人からもそう認知されているんだなぁということを言いたかっただけでした。(おわり) #
  • 美容室なう。今から散髪。 #
  • 髪切るとますます白髪が目立つなぁ。別にストレスのせいではなくて単なる体質の問題なのかもしれないが、それでもストレスで白髪が増えたと思っても不自然ではないぐらいにはストレスフルな生活をしているよなぁ。でも小学生のときも宿題をせずに学校へ行って毎日同じぐらいストレス感じてたけどなぁ。 #
  • 何がいけないんだろう。もちろん単純に年を重ねているわけだから老化も進んでいるのだろうが、それにしても最近はとみに老けてきたように感じる。夜更かしもするし、常に走り回っているし、ストレスも半端ないし、食生活は偏っているし、楽しいことは以前に比べると減ったし。ポジティブに考えないと。 #
  • ほんと朝飯食べると夕方まであくびが止まらないんだよなぁ。尋常じゃないと思うんだけど。なんでだろう。 #
  • 日本実業出版社「フシギなくらい見えてくる!」シリーズの倫理学って、本文はまったく読んでいないけど、各項目ごとの見出しをざっと見る限り、問いの立て方や論点の整理の仕方がこの手のハウツー本にしてはおそろしくまともっぽい。つまりちゃんと倫理学っぽい。中身も意外といいのかもしれない。 #
  • ミル『自由論』の新訳などを出されていた翻訳家の山岡洋一さんが先月の20日(2011年8月20日)に亡くなられていたのか。いい翻訳をされる方で尊敬していただけに残念。『自由論』が光文社古典新訳文庫とは違うところから出ていたのと何か関係があるのだろうか。 #
  • JR元町駅なう。まだ待ち合わせの時間まで1時間ほどあるなぁ。どこかで泡の出る麦茶でも飲みながら、いやいや違う違う、どっかでソフトドリンクを飲みながら読書していよう。と書いている間に元町駅からは離れてしまった。 #
  • すみません。これに負けました。とりあえずIPAというエールから。 http://t.co/tq2Aj4w4 #

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