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2009年2月19日(金)の日記

 一昨日、昨日の国際シンポ、国際ワークショップも無事終わって何より。わたしが出たのは基本的に懇親会だけ。

[7:38] 6時半に起きて某書類の修正。

 さすがにジャケットはきついなあ。これを着ると人間終わってしまいそうだし。でも万が一のときのために一応持っていっておくかなあ。

2010年2月15日(月)の日記

 大学で雑用。夕方からなんばで買い物。目当ては先日破いてしまったパーカーだったんだけど、結局なんだかんだで服に5万円弱も散財してしまった。探していたパーカーも商品を春物に入れ替えるために片づけていた山の中から出してもらい、なんとか手に入れることができた。まったく無駄な出費だよなあ。反省。

 書類の整理中。北にある某大学で留学生のチューターをしていたときに留学生から教えてもらったラテン語”Mater Semper certa est”(英語に訳すと”The mother is always certain”)がメモ書きしてある紙をこれまでもったいなくて捨てられなかったんだけど、いまここに転載して捨てることにする。

[2:39] さて、書類の整理も飽きてきたので別の雑用をするか。

[3:03] いまG-Searchを使うと誤った操作をしてしまいそうなので、これは睡眠をとったあとにすることにしよう。となると某奨学金免除関係か。

[3:21] 自分が何の研究をしているのかはっきり説明できなくてよく落ち込むのだけど、これはわたしが不真面目で研究らしい研究をしていないからなのだろうか。それとも文系の学生、とりわけわたしのように理論と応用が求められる分野で研究をしている学生はある程度経験していることなのだろうか。あるいは研究者一般が感じているようなたぐいのものなのだろうか。応用倫理学などやらずにシジウィックだけ読んでいたとすれば、少なくとも学部生のころまで「カントの勉強(研究)をしています」と即答していたように、迷わず言えたのかもしれない。それが理論の研究も中途半端なまま応用倫理学に手を広げ、さらに臨床哲学に(転向とまでは言えなので)手を伸ばしているうちに(と言いたいところだけど、この中途半端さがいけないのだろう)、自分がいったい何を研究しているのかはっきり答えられなくなってしまった、ということなんだろうか。つまるところなにもしてないってことになるんだろうな。とはいえ「実は何もしてません」とは口が裂けても言えないよなあ。いやまあ、ほんとうに口が裂ける、というか裂かれるんだったら言っちゃうけど。

 ところでこの「口が裂ける」という表現を差別的だとみなす人もいるのかなあ。だとすると「口が裂ける」という表現は口が裂けても言えないけど、それでもやっぱり裂かれるんだったら言ってしまうだろうなあ。それから、わたしの場合この慣用表現を聞いたときに思い浮かべるのは上下に口が裂ける様子なんだけど、ほかの人はどうなんだろう。

2010年2月14日(日)の日記

 洗濯の下準備で袖周りの染み抜きをしようと思ったら、お気に入りのパーカーが何か所も破れてずたずたになっていた。昨日酔っぱらって破いてしまったようだ。心当たりがあるのはせめてもの救いだけど、かなり気に入ってただけに残念。

2010年2月13日(土)の日記

 いろいろ雑用がたまっていたので研究室で徹夜。作業が一つ片づいたので一旦家に帰って寝るか。シラバスは昨日郵送したけど、今度は授業の中身を考えないといけないよなあ。まあ中身を考えずにシラバスを書くというのはおかしな話なので、「中身を整理しないといけない」と書いておいた方が無難なのかなあ。まあどっちにしろあんまり変わらないか、とくに内実は。

[14:25] 大事な人と会うのでたまには(といっても少なくとも3、4年はやっていないけど)寝癖をなおしてから出かけようと櫛を探してみたけど見当たらなかった。北海道にいるときにも使った記憶がないもんなあ。